KYTアナウンサーブログ

取材の原点 

2019.01.12(土)

国の移住政策の責任を追及したドミニカ移民訴訟で原告団副団長を務めた旧国分市出身の日高武昭さんが日本時間の10日、交通事故で死亡しました。76歳でした。


私の取材の原点の1つがこのドミニカ移民訴訟です。

裁判が大詰めを迎えていた2006年。

当時、MBCやKTS、日本テレビ系列のKRYの取材が先行し、KYTは出遅れていました。

そんな時、快く取材に応じてくださったのが日高さん家族でした。

尊敬するMBCの先輩記者やKTSの同期記者からもアドバイスをいただき、ドミニカ取材が実現しました。13年前のことです。

初めての海外取材。

ニューヨーク経由で地球の真裏にあるドミニカ共和へ飛びました。


日高さんは国中を案内してくれました。

首都サントドミンゴから車で約5時間。辺りの景色は一変しました。


■岩だらけのネイバ入植地


■塩が噴き出た砂漠が続くドベルヘ入植地

 

ハイチとの国境が近いアグラネグラの入植地など

移住者たちの苦難の道のりと現状、課題を取材しました。

そこには“カリブ海の楽園”と謳われた国の募集要項とはかけ離れた風景が広がっていました。

戦後、日高さんも母親たちを追って海を渡りました。

日高さんたち移住者は「話が違う」と国の移住政策の責任を問い、裁判を起こしました。

訴えは退けられたものの「率直に反省しお詫びする」とした小泉総理の談話や特別一時金の支給により移住者側は和解に応じました。

高齢化が進む移住者たちにとって苦汁の選択でした。


日高さんはその後もドミニカ日系人協会の副会長として高齢化が進む移住者の生活の改善に尽力しました。

また、ドミニカの関係者を日本に招き、鹿児島市の産業廃棄物の処理場を視察するなど両国の交流のかけ橋として活動してきました。



私は日高さんたちの活動を通して祖国を訴えなければならなかった辛さや悲しみを知りました。

日本人としての尊厳を学びました。

他局の記者たちの取材を見て調査報道の大切さを痛感しました。

このときの経験がその後の志布志事件や大崎事件、北朝鮮の拉致問題などの取材に繋がっていると思います。

様々なことを教えてくださった日高さん、安らかにお眠りください。


謹んでお悔やみ申し上げます。

 


戻る